植物園は秦仁昌?陳封懐などにより?1934年に創建された。わが國唯一の亜高山植物園である。なかには中外の植物が1000種類余り集まっている。80年代末?國際自然と自然資源保護連盟?(IUCN)のメンバーとなることである
五老峰と漢陽峰が交差し、口のような形で、陽湖を呑みつくような感じがするので、含?口と稱された。頂上に含鄱亭、望鄱亭などがあり、山色湖光と一體になった。
蘆林湖は1955年に建てられた。ダムを築い?橋になったのである。面積13萬平方メートルで、貯水量120萬平方メートルを持っている蘆林湖は湖群峰に囲まれ、山水が映り合い、橋が虹のように見え、水が空のように見えてきて、すべてが非常に巧みである。
寺は明代萬歴年間に高僧徹空によって建てられた?!更S竜寺」という扁額は康有為が書いたのである。寺の後ろの頂上に賜経亭が築かれっている。
?寺前に木が3本あり?1本の木が1本の菩提である?。3本の木の中に柳杉2本、銀杏1本ある。晉代の僧が植えたそうであるが?実際に明代の僧が植えたと証明された。今まで400年になった。
白鹿洞書院は940年に創立された。南唐に「廬山國學」が設けられ、その時の?金陵國子監?と同じように有名である。
南宋の理學家朱熹は1179年に?御書院?が復興し、ここを理學の聖地になった。雎陽、石鼓、岳麓とともに四大書院といわれている。今は禮聖殿、御書閣、明論堂、枕流橋、碑廊?思賢臺?延賓館など?歴史の建物が殘っている。
「匡廬の滝では三畳がいちばんである」古くから詠っている。泉は斷崖から飛び込んで、三畳になり、落差が155メートルぐらいある。玉龍がふちに飛び込むように大きな流れは流れ落ちてくる。
五峰は並立して五人の老人が話し合っているように、廬山の諸峰で一番素晴らしい。峰の前に形の異なった小さな五峰があり、峰に?五老洞?という石刻がある。
また迎客松などの景観がいたるところ見られる。頂上で日の出を見ることができる。霧が立ち込める日にあえば、?霧の音がする?という韻味を體得できる。
この建物は1937年に建てられたのである。國民時期、蔣介石はここで「廬山會議」を11回行った。解放後、中共中央は1959年、1961年、1970年、ここで「廬山會議」を3回行った。
もともとは毛沢東の舊居で、「蘆林別荘」と呼ばれ、「蘆林1號」とも呼ばれている。
中西合壁の別荘である。1984年に博物館になった。中には珍しい青銅器、陶磁器、字畫などが保存されている。とくに、許衆竜が書いた「五百羅漢図」は一番珍しい。
一つの大きな石が天池山の中腹に突き刺さるように橫わたり、竜が首をもたげているように見える。斷崖に臨んで、見下ろし、底が見られないほど深い。古くから奇絶と稱されている。
天池寺の所在地である。明太祖の勅命によって建てられたこの寺はもともとが「天池護國寺」で、宋朝に?天池寺?と改稱された。風景區には圓仏殿、天池塔、照江崖、文殊臺などの名所がある。雲を観るとか、風景を楽しむとか、仏燈を見るとかが一番良いところである。
丸形の洞口の上に「仏手」のような巖を突きだす。中には泉などがあり、外には「老君殿」[蟾蜍石]?御碑亭??石松?など數多くの景観がある。呂洞賓がここで修行し、神様になったという伝説があり、名が聞こえている。
天が高く、谷が深く、はっと明るくなる。谷の中が凄くきれいで、錦のようで、名づけられている。晉代高僧の慧遠がよくこの谷へ薬を採りにきたそうである。谷には天橋や人頭石や錦繍峰など諸名勝を持っている。
「人間四月、芳菲盡き、山寺桃花はじめて満開???」という唐代詩人白居易の千古絶唱で、この名勝の名が聞こえている。しかも、その隣に如琴湖がある。山色水光の景勝を味わうことができる。それぞれ異なった景観は情趣が溢れている。
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